Abstract
郁達夫(Yu Dafu, 1896-1945)についての批評史・研究史に関して、近年の中国における業績の整理を試みる中で、これまでの、特に1980年代以後の郁達夫研究において、郁達夫に対する同時代批評の整理検証が十分に重視されていないことに気付いた。同時代批評は、後世の研究・批評にはない、作家と時代を共有するという貴重な資料であり、かつ、その作家についての直接的な種種の記録も含んでおり、批評史、研究史ばかりでなく、作家とその文学を包括的に考える際に欠かせないものである。こうした「資源」を吟味し有効に活用することで、できるかぎり歴史の現場に立ち戻り、根拠の乏しい「推測」や「想像」を排し、より客観的に郁達夫文学を見つめることができると考える。本論では、主に中国における郁達夫研究を考察対象として、1920年代、特にその前半、即ち郁達夫が文壇に登場してから作家として広く認知されるまでの文学者形成期に、郁達夫文学がどのように読まれてきたかを中心として、ポイントを押さえた史的考察を行い、改めて郁達夫研究の発生と進展の跡付けをしながら、これまでの郁達夫研究の基本的枠や概念の由来を的確に把握し、郁達夫研究の今後及び郁達夫文学そのものについても考えてみたい。
Translated title of the contribution | A Reconsideration of the Contemporary Comment on Yu Dafu in 1920's |
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Original language | Japanese |
Pages (from-to) | 131-144 |
Number of pages | 14 |
Journal | 言語文化論究 |
Volume | 26 |
DOIs | |
Publication status | Published - Feb 7 2011 |
Externally published | Yes |